第五章:真のデジタルものづくり人材を育てる ~CAE教育のあり方~
2024年9月20日
日本の製造業にはグレート・リセットが必要です。 根本から変わらなければならないと思っています。 このコラムでは、日本の製造業にグレート・リセットが必要な理由を詳細に書いていきます。 日本製造業復権の主人公は、製造業に携わる皆さんです。 このコラムがそのための議論のきっかけを提供できれば、それ以上にうれしいことはありません。 栗崎 彰 |
先月、東京の秋葉原でサイバネットシステムが主催する「CAEユニバーシティー特別公開フォーラム2024」が行われ、さまざまな製造業の教育への取り組みが紹介された。
梅雨明け時期の猛暑にもかかわらず、会場には200名近いCAEの教育関係者が集い、CAEの関心の高さと同時に教育というテーマへの関心の高さが感じられた。
このような学びの場で、先進的な取り組みを行っている企業の事例を、取り入れていくことは非常に重要だと思う。
今回は、真のデジタルものづくり人材を育てることをテーマに、私が25年にわたって定点観測してきたCAE教育のあり方を考察していきたい。
CAEは重要なデジタル技術のひとつだ。
CAEに限らずさまざまなデジタル技術を仕事に活用していくうえで、またデジタルものづくり人材を育成していく上で、大公約数的なヒントを提示できればと思う。
目次
真っ先に削られる教育予算
「教育は大切だ。」
お会いしたことのある企業の幹部は口を揃えて言う。
誰でもわかっていることだ。
ところが予算削減となると、真っ先に教育予算が削られる。
背に腹は代えられぬ、というわけだ。
現に、私が定期的にCAE教育の講義を行っている企業においても、予算削減を理由に予定の講座が中止になったことは一度や二度ではない。
経営サイドは、なぜ教育予算を削減するのか。
教育が大切なことは百も承知、総論オーケーだ。
ところが、各論まで落とし込まれた明確なプランが見えないことが多い。
各論が明確でない以上、予算削減の対象となるのは仕方のないことだ。
少し古いデータだが、厚生労働省が平成30年に発表した「GDP(国内総生産)に占める企業の能力開発費の割合の国際比較について」というグラフがある。
【出典】厚生労働省「平成30年版 労働経済の分析」
第1章「労働生産性や能力開発をめぐる状況と働き方の多様化の進展」第2節 我が国の能力開発をめぐる状況について」85頁
世界の「OJT研修を含まない能力開発費」の中で、日本は欧米5か国に比べて突出して低いことが公表されている。
特に、調査最終期間の2010年から2014年は、他の国々がGDPの1%以上を投下しているのに対して、日本の割合は0.1%だ。
1/10以下なのだ。
このグラフの調査対象の企業は製造業だけではないが、その後の国内企業の「一社当たりの能力開発費の推移と人手不足との関係などについて」というグラフでは、製造業と非製造業の比較がある。
【出典】厚生労働省「平成30年版 労働経済の分析」
第1章「労働生産性や能力開発をめぐる状況と働き方の多様化の進展」第2節 我が国の能力開発をめぐる状況について」90頁
非製造業では、2015 年以降増加しているが、製造業では2013 年に下げ止まり、その後横ばいのようだ。
2017年からは、厚生労働省による「人材開発支援助成金」制度も始まったため、状況は改善されていると思いたいが、この結果から、「人材開発への投資が十分でないことが、日本の製造業衰退の理由の一つ」と言えるのではないだろうか。
だとしたら、「教育費が予算削減の対象となるのは仕方のないこと」で済む話だろうか。
教育予算削減は未来を捨てること
このコラムでは、「日本の製造業のIT投資は諸外国と比べて、圧倒的に低い。現場の努力で何とか現状を保っている。」ということを憂いてきたが、能力開発費についても同様だ。
これまで私は、お付き合いのある製造業で教育を担っている解析担当、業務推進担当、技術管理担当の皆さんが、決して多くない予算をやりくりしながら、さまざまな活動を行っているのを見てきた。
自社の教育プランの策定に悩み、教育対象の部署に疎まれることがあっても、さまざまな施策を取ってきた。
惜しむらくは、その活動が単発なことが多いことだ。
例えば、「どのチームの、どの社員に、どの講義を、どのタイミングで受けさせるか」などは真剣に考え、見合った講義を受講させるまでは良いのだが、その後が続かない。
家の建築に例えると、「質の高い美しい織り模様の絨毯はできあがったが、肝心の部屋の大きさが決まっていないまま」なのだ。
教育は、「理解の階段」を踏まえた継続したプランが必須なのに、単発では投資効果が活かされない。
必要なビジョンと体系のどちらも欠けている。
人材開発は、一般的な人事仕事の片手間としてできるものではない。
自社の強みをさらに伸ばし、弱みをカバーし、社員のモチベーションを維持しながら会社の実力の底上げを図っていかなければならない。
教育に関する予算は「固定費」であるべきだ。
教育プランやビジョンの策定を含め、固定費として確保しておくべきだろう。
講習会費用だけが、費用ではない。
「家造り」に例えると、部材の強度、間取り、各設備の設計費、さらには保守修繕の費用も必要となる。
先に出てきた絨毯も、いずれは劣化するのだ。
マンション住まいだとしても、修繕積立金、管理費、家賃は固定費だ。
教育費の削減は、企業の基礎体力を奪う大変危険な行為だということを、経営サイドは認識すべきだろう。
次の節から、多くの製造業において認識されていない「デジタルものづくり人材を育成する土台として必要なこと」について、述べていきたい。
教育ビジョンの構築に役立ててもらえると思う。
デジタルものづくり人材とは:「設計バージョン」
デジタルものづくり人材とは、どのような人材なのか。
ものづくりには、製品の企画、設計、製造、保守に至るさまざまな工程で多くの人が関わるため、ここでは「もの」の要となる「設計」工程の人材を中心に説明する。
設計の目的は、仕様を現物化することだ。
その人たちを「デジタル人材化」するとはどういうことか。
デジタル人材の第一条件は、最新のデジタル技術を設計に使えることだ。
例えば、設計にAIを活かすとすると、設計者が機械学習や大規模言語モデル(LLM:Large language Models)などAIの仕組みを理解しているのが理想的だ。
しかし、そのためには膨大な時間が必要となる。
設計者は忙しく、事実上、不可能だ。
新しいデジタル技術は、設計に使えるように加工して、設計者はブラックボックスとして使うという割り切りが必要となる。
そんなことを言うと、「技術者が考えなくなる」というご意見をいただくが、設計者の仕事はAIの仕組みを理解することではなく、製品を設計することだ。
ブラックボックス化した技術の健全性は、最新技術を設計に使えるように加工した解析の専門家チームが担保すればいい。
AIそのものの学習のために膨大な時間やコストをかける必要はないのだ。
CAEの技術も同様である。
CAEとは、設計段階で製品に問題がないかをコンピューター上でシミュレーションを行い、確認して工学的問題を解決するシステムのことだ。
構造解析、流体解析などを中心に、製造業では半世紀ほど前から使われてきた。
半世紀の間に、ソフトウェアの機能は飛躍的にアップし、シミュレーションで解決できる課題も増えた。
ところが、その教育方法・活用方法が一切、変わっていない。
設計者にCAEの教育が必要になってきたのは、20年ほど前からだ。
CAEツールが進化し、解析の専門家ではない設計者でも使えるようになったからである。
当時、解析の専門家がツールの使い方の手順書を作り、それをもとに講習会を実施し、疑問やエラーについては設計者をサポートし、CAEを設計者に広めようとした。
その結果はどうだったか。
CAEは未だキャズムを超えてはいない。
この図式は20年の間、変わっていないのだ。
設計時間に余裕がある頃は、この方法でも良かった。
解析の専門家が設計者に張り付いて教え、一緒に解析をやってくれる時間的余裕もあったからだ。
今の時代、このような古典的な方法は通用しない。
設計対象の製品は複雑化する一方で、働き方改革によって本質的な設計にかける時間はひっ迫される。
解析の専門家が自分たちのやっていることをコンパクト化して設計者に押し付けても、ひっ迫している設計時間の前では、そんなものは消し飛ぶ。
解析の専門家たちがやるべきことは、設計者にCAEの操作方法を教えることではない。
「設計にどのようなシミュレーションが必要かを把握し、それを自動実行してくれるようなツールを提供する」ことだ。
それこそが解析の専門家の本分である。
一方で、設計者は解析の理論などわからなくていい。
精度は解析の専門家が保証してくれている。
「設計過程のシミュレーションで得られるたくさんの答えの中から、正しい組み合わせを選ぶこと」が設計者の仕事だ。
まとめると、「真のデジタルものづくり人材」とは
- 解析の専門家:最新のデジタル技術を駆使し、ニーズに適した道具の精度を保証して作れる人材
- 設計者:最新のデジタル技術を駆使し、それを使って正しい判断ができる人材
を指す。
自分が使う技術の端から端までわかっていることは理想ではある。
しかし現実がそれを許さない。
正論と理想を捨て去る必要がある。
教育のカリキュラムとスタイルの改革を
CAEは、製造業の設計部門におけるDXのはじめの一歩だ。
CAEは、デジタルものづくり人材の必須習得科目のひとつだと言える。
CAEは、AIやデータサイエンスと同じくらい重要だ。
繰り返しになるが、CAE利活用の歴史がそれなりに長いことが、CAE利活用の障壁になっている。
ものづくりに必要な技術はどんどん進化していっているのに、その活用方法が慣例化された結果、教育方法も20年前からほとんど変わっていない。
プログラミングが必要なのに、未だそろばんを教えているに等しく、教育そのものがCAEの利活用を阻んでいると言っても過言ではないだろう。
まずは、教育カリキュラムを見直すべきだ。
第一に、CAEツールそのものの使い方を学ぶ必要はない。
「自動化されたCAEツールの“入力の意味”と“出力の解釈”」をカリキュラムとすることで、設計本来の目的の「仕様を現物化」できる人材を育てればよい。
CAEツールは、外注でもなんでもいい、解析の専門家が設計の要求に合わせて徹底的に自動化することが大前提である。
CAEツールの使い方を一から教えているのに比べ、教育に必要な時間は飛躍的に短縮できる。
第二に、「“入力の意味”と“出力の解釈”」を支える科目の座学は必須である。
例えば、材料力学はものづくりに関わる人のライセンスだと思っている。
次に考えるべきは教育スタイルだ。
コロナ禍によって、オンラインでの会議や講習会の敷居がぐっと下がった。
対面教育は熱量を伝えられる点で大いに優れた方法であるが、日常的な手法ではなく「体験」になりつつある。
オンラインは空間的な距離を縮め、国外の拠点でも国内と同等の教育を実施できる。
さらに講師の負担と拘束時間を最小限にするために、LMS(学習管理システム:Learning Management System)への取り組みが急務だ。
LMSは、今後の学習スタイルの主流になるだろうと思っている。
教育効果を定量的に見える化し、カリキュラムの開発に役立てることができる。
何よりも、教育費用の投資効果が見えやすくなる。
上記に挙げたこれらを踏まえたうえで、包括的な教育プランを策定し、持続可能な企業内シラバスを作成することが、デジタルものづくり人材を育成する土台である。
“教育の根は苦いが、その果実は甘い。”
"The roots of education are bitter, but the fruit is sweet."
古代ギリシアの哲学者、アリストテレスの言葉だ。
教育は、教える側も教わる側も多くの時間を要し、会社の業績に即座に反映されるものでもない。
しかし、企業の存続と成長の土台となるものだ。
企業は、教育に対して、明確なビジョンを持ち、必要な予算をかけ、正面から取り組まなければならない。
次の回「第六章:周回遅れのニッポン製造業のデジタル活用」(近日公開予定)
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